テヘランの歴史 - 建設と発展
この町の起源ははっきりはしていないが発掘調査からは紀元前6000年の住居跡が見つかっている。9世紀には南8㎞にある近郊のレイ(ペルシア語: ری、転写: raj、Pronunciation: rā)がこの地域の首邑であり、テヘランには村があったものの何ら注目を浴びていなかった。1220年、レイがモンゴル帝国に襲撃され徹底的に破壊されるとレイの人々はテヘランに避難し、この時から都市としてのテヘランの歴史が始まった。当時は「レイの人々のテヘラン」などといわれた。14世紀、テヘランは名の知られた町になり、1404年、カスティーリャ王国のエンリケ3世がティムール帝国に派遣した大使であるルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホがサマルカンドに赴く途中にこの町に立ち寄った。これが西洋人がこの町に足を踏み入れた最初である。この時代までは町には城壁がなかった。17世紀にはサファヴィー朝の支配者たちの住居も作られた。1553年から1554年にかけて、タフマースブ1世はバザールと城壁を作り、商業機能と防衛機能を強化されたテヘランは次第に大きな町となっていく。しかしアッバース1世がウズベクとの戦いに行くためにテヘランを通ったとき、王は病気となり、その後、王に嫌われた町となってしまった。18世紀、ザンド朝のカリーム・ハーンはテヘランに宮殿とハーレムの建設を命じ、政府機関も移転する予定であったが、都は最終的にシーラーズになってしまう。
参照元:ウィキペディア「テヘラン」